S田の山行き

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城跡巡り

連休に入り、車でですが、城跡巡りをしてきました。大河ドラマ、どうする家康では、次回、三方原の戦いとのことで、信玄の活躍もそこまでで、次は、息子勝頼との戦いとなります。その中で、舞台となる場所である諏訪原、高天神、横須賀城跡を訪ねます。

まずは、諏訪原城跡。


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馬出しと呼ばれる、三日月状の堀りが確認できます。


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立地場所も高台なため、大井川を見下ろせます。当時は、牧之原台地の脇まで川があり、天然の要塞であったそうです。


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堀りも深く、急です。



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この城は武田が築いて、家康が攻略しました。1575年5月、長篠の戦いで勝利した家康は、勝頼に犬居谷を任されていた天野氏の光明城を6月に奪い、その勢いで諏訪原城も落としました。

そして、この城を拠点として、高天神城を攻めます。

私も、南下して高天神城跡に行きました。急坂を登り、


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展望が開けた場所からは海が見渡せます。


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この城は最初、今川方の城で、今川義元が討たれた後、当時の城主、小笠原氏は徳川につきました。その後、信玄に攻撃されるも、その時は凌ぎましたが、長篠の戦いの前年、勝頼に攻略されました。

 

その後、家康に奪還されるまで、7年余り、徳川方の武将、大河内源三郎が幽閉されていたという、石窟があります。


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家康も、高天神城を攻略するために、四方に砦を築いてやっと落とせたとあって、難攻不落の城でした。

この城は、三方が崖に囲まれた上、一城別郭と呼ばれる、二つの曲輪が補完しあって一つの城として機能するような作りです。東側と西側に尾根に沿って別れています。切通しも迫力ありました。


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最後は、その高天神城を攻略するための拠点として築いかれた、横須賀城跡を訪ねました。


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高天神城の補給でも、海からの物資が重要な役割を果たしてましたが、この城も当時は、遠州灘からの入江にか囲まれ、この入江が内陸の掛川城の外堀の逆川の河口だったらしく、船の行き来が出来たそうです。


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鯉のぼりが泳ぐ城跡で、周りが水で囲まれた様子を想像しました。


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これで、ドラマで、眞栄田郷敦演じる、勝頼の戦いに楽しみが倍増した感じです。武田との攻防に5話くらいかけて欲しいものです。3話くらいになってしまうかも。