今日は,久しぶりの暖かな陽気になり、またまた引佐へ。浜松市地域遺産センター 特別展を見てきました。
少し奥山へ向かい、奥山氏居館跡にも立ち寄ります。いつもなら、必死に自転車を漕いでいて(緩やかな傾斜が続いている道なので)気が付きませんが、注意してようやく気付きました。ただ、上はみかん畑となってます。
道を挟んで、向かいの奥山神社に行ってみることに。
こちらは、神社があるのは何となく気づいていたのですが、立ち寄ったことはありませんでした。
次なる場所は、井平居館跡。井伊家七代弥直(みつなお)の時代に分家して、この地を治めていた一族。右手の山が井平城。ここで昼休憩し、城跡散策にでます。道案内に沿ってぐるりと周れます。次に向かったのが、井平城と旧鳳来寺街道でつながっている仏坂古戦場。旧鳳来寺街道で行っても良かったのですが、一旦257号へ出て、引佐ICに向かって登りの途中から向かいました。武田軍を仏坂で向かい打ったこの戦いが、三方ヶ原の戦いの前哨戦とされています。実際に、武田軍は北より井平城に向かったのですね。三方ヶ原の戦いの2か月前、武田軍と徳川軍がここで激戦を交え、多くの武将も命を落としました。これは、「ふろんぼ様」(古い墓が訛って呼ばれるようになったとも)と呼ばれ井伊飛騨守直成(井平城主)他、討死した武将を葬ってます。鉄砲に当たっての最後らしい。亀之丞の隠れ岩というのがあるらしいので、実際に旧鳳来寺街道を少し登ってみることにしました。まさにシングルトラック。馬1頭走れるかどうか位ではないでしょうか。こんな感じの道が山の中の普通の街道だったのでしょう。程なく到着。岩場はここからは見えず、ぐるっと岩の周りをまわります。この岩です。亀之丞が信濃に逃げる途中ここで一夜明かしたとのこと。鳳来寺街道を折り返し戻って、少しまた登った先に、竹馬寺があります。ここにも、直虎の話があり、ここのお寺の十一面観音を守るべく、仏坂の戦いの前に武田軍に直虎が頼み、細江町の観行院に移させたというような、マンガが掲示されていました。この先は行き止まりのため、下山。川名を経由して帰ることにしました。途中、梅も咲いていて景色も良く快適。ひよんどりが行われる福満寺薬師堂により、よく通る林道を走り帰宅。まだまだ、知らない興味深い場所があることを実感しました。次回も行ったことのないところを探していってみようと思ってます。